北山杉は狼煙の如くに・・・
しばらくの間お休みさせていただいておりました『阿閑亭日器』、再開させていただきます。更新がストップしておりました間に何人もの方から「楽しみにしてますので早く再開してくださいね!」と、ありがたいお言葉をいただきました。ご期待に添えるよう、また楽しくご笑覧いただけますように(ぼちぼちと)更新させていただきます。
さて、お休みいただいている間に私どもの店『魚仙』は大きく様変わりいたしました。外観から見ますと、正面にありました石の階段がなくなり庭の木々や石の配置が変わって、スロープで庭の間をぬけて玄関へと続くアプローチになりました。今回庭を整地していただいたのは、私の友人で亡き親友・狸庵の藤原君の友人でもある宇治の瓜生造園さんにお願いしました。私自身、庭の改装は(木ぃ抜いてちょっと整地したらスロープ作れるやろ・・・)と簡単に考えていたのですが、瓜生さん「ハヤシダはん、そんなん全部木ぃも石ものけな(移動しな)あかんでぇ!」と言われ、ユンボは来るわクレーン車は来るわで、慌ててご近所さんにご挨拶に回った次第でした。おかげさまで以前とは全然違った、趣のある庭になり、お客様からも「いい感じになったね。」とお褒めのお言葉をいただいております。そんな中で今回庭に新たに入れた木が“北山杉”。何年も前から(庭を改装したらこんな感じにしたいなぁ・・・)とあちこちの寺や茶室の庭を見学に行っていた時から、どこに行っても植えてあっていいなぁと思っていたのが“北山杉”でした。“北山杉”と言いますと、私は川端康成の『古都』を思い出します。去年の夏には洛北の方まで出かけた際に、『古都』にも登場する“北山杉”の里を通って(やっぱり情緒があってええなぁ・・・)と、あらためて“北山杉”への思いを強くし今回の植栽に至りました。
もうひとつ、私の“北山杉”への思いいれを表す料理があります。それは私の亡くなった父が考案し得意にしていた“北山鍋”です。私の父は滋賀の長浜の出身で、学校を出てすぐに京都で料理の道に入りました。もともと起用で熱心だったこともあり、トントン拍子で出世して所属していた調理師の組合では引っ張りだこの料理人だったと聞きます。そんな父が考案した“北山鍋”・・・。父のそれは大根と鶏肉という相性のいい素材を簡単に組み合わせ、美味しい“出汁”で提供させていただくという料理でした。
大根を縦に割り、薄めにへいで大根で(うどん)の麺を作るように細く縦に切ります。細く縦に切り付けた大根・・・おそらく父は京都時代に目にしたあの趣のある“北山杉”にダブらせたのでしょう。まだ若かった父はまっすぐに伸びる“北山杉”に自分自身の思いも重ねたのかもしれません。父の代からのお客様でもこの“北山鍋”をご存じの方は少なくなり、『魚仙』では(幻の料理)状態でした。
私の“北山鍋”は父のものを踏襲しながらも少しアレンジしたもの。大根はそのままに、組み合わせる材料を(鶏・豚・猪)などに幅をひろげて、仕上げに出汁に葛を引いてとろみをつけました。時には私の得意の(すっぽん)で“北山鍋”に仕立てるのも良いかもしれません。
土鍋は篠原希さんの刷毛目のもの。薪窯での焼き締めの作品を得意にされる篠原さんですが、実は土鍋もお得意。奥様の作られる土鍋を使った手料理もブログで紹介されていてほんとに美味しそうなんです!私も一度ご馳走していただきたいのですが・・・。
瓜生さんの言いつけ?で毎朝毎夕と庭への水やりが私の日課になりました。「ハヤシダはん、毎回しっかり30分は水まかなあきまへんでぇ!」と言われましたので、水道代を気にしながら・・・せっせと励んでおります。朝、水を撒きながら“北山杉”を見上げますと、てっぺんの(ボンボリ)が風に靡いておりました。(あぁ、これもだんだんウチの顔になっていくんやなぁ・・・。)と思うと同時に(これからもがんばって美味しいもん作らせていただこう!)という天の親父に届けとばかりの“狼煙”のようにも見えました。
“北山杉”は狼煙の如くに・・・。ちょうどその時、シギでしょうか?横を流れる谷川から鳥のけたたましく鳴く声が聞こえました。私にはそれが本格的な『陶の辺料理』の始まりを告げる“鬨の声”に聞こえたのです・・・。
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