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花火の宴

143_4389 吉田明 花火三島手皿

去る7月23日は信楽の『火まつり』でした。魚仙では毎年『花火の宴』と題しまして、“火まつり会席・炎(ほむら)”をご用意させていただいております。お座敷にて季節感あふれるお料理を召し上がっていただいた後、窓際の毛氈席や外の床机席にて、目の前に打ち上げられる花火をお楽しみいただく御席です。今年もホームページで告知させていただく前に御席の方が満席になってしまい、お客様にはご迷惑をおかけ致しました。申し訳ございませんでした。来年はもう少し御席の確保も工夫させていただきますのでどうぞよろしくお願いいたします。

143_4385 さて、毎年のことなのですが“火まつり会席・炎”の御献立を考えるときは頭を悩ませます(イベント料理のときはいつもそうです・・・)。常連さんのお客様が多いですし、いつもとは違ったお料理を仕立てなくてはなりません。今回は“煮物椀替わり”として『新じゃがのヴィシソワーズ』をお出しいたしました。新じゃがを使った冷製のスープなのですが、牛乳や生クリームを使うためどうしても“洋食”になってしまいます。私としましては和食の範疇から少しは出てもいいと思うのですが、やはり“軸足”はしっかりと和食の中に着いていたいので(どう仕上げようか・・・)と考えた末に、“煮凍ごり”を浮かべることにしました。

143_4386 鯛の頭で出汁を取って味付けをし、一晩冷蔵庫で寝かせます。鯛の頭の部分はゼラチン質が多く“煮凍ごり”には最適です。プルプルした食感も口当たりも夏向きで、ヴィシソワーズともよく合いました。もちろんヴィシソワーズで使う出汁はカツオと昆布の出汁です。何とか和食の範疇に留めたと思っているのですが。お客様の反応はすごく良くて、中にはおかわりを御所望されたお客様もいらっしゃいました。これからは魚仙の夏の定番として定着させようと思います。

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もうひとつ、評判がよかったのが『口取り』に盛り込ませていただいた、“鯵のバッテラ”。実はこのお寿司、今月の『季節の点心』でもお出しさせていただいております。今回使った鯵は三重県の尾鷲産。塩と酢の塩梅で美味しく仕上げさせていただきました。お客様の中には「点心のこのお値段でこんないいお寿司が付くなんて・・・。」と、驚かれる方もいらっしゃいますが、そこは魚仙の“心意気”!!美味しくお召し上がりくださいませ!!

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この器は、亡くなられましたが李朝陶の写しでは本歌を凌ぐといわれた、奥多摩の吉田明さんの作品です。ちょうど三島の文様が見込み全面に広がっていて、夏の夜空を焦がす花火を思わせます。今年の信楽の花火は、適度な風もあって、ガスや煙も溜まることなく、本当に綺麗に見えました。どうか来年もいい天気でありますように・・・。

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土用の丑

143_4376 中田美穂 黄粉引丼鉢

小西啓吾 青白磁急須

昨日は『土用の丑』。魚仙でもたくさんの“うなぎ”のご注文をいただきました。ありがとうございました。

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“焼き場”を担当してくれているのは大ベテランの料理長・佐治さんです。ご予約の時間を見越して、灼熱地獄の焼き場で必死で焼き上げてくれました。うなぎは『割き(さばく)三年・串うち十年・焼き一生』と言われるほど奥の深い魚です。料理長の佐治さんでも“焼き”に関しては、時々「う~ん・・・。」と首を傾げてはることもあります。(決して失敗しているわけではございませんので。念のため・・・。)

143_4374 “焼き”で重要なのものの一つがこの“タレ”です。魚仙のうなぎの“タレ”は創業以来、注ぎ足しつぎ足ししてきたもの。戦争中は甕に入れて地中に埋めて守り、水害で店に浸水してきたときは天井裏にあげて守ったといいます。私は“秘伝”とか“秘法”とかは好きではないのですが、この“タレ”だけは同じものができません。うちの店を“卒業”していく子たちには、この“タレ”を分けて渡すことにしています。注ぎ足しつぎ足ししていって、次代に繋げていってもらいたいものです。

143_4378 今日は特別に『ひつまぶし』風にうなぎめしにしてみました。ご飯に“タレ”をまぶして丼に入れ、その上に錦糸玉子を張りました。うなぎは細かく刻んで上に載せます。大きな切り身も食べ応えがあってうれしいのですが、この食べ方もまた美味しいものです。

143_4379 独特の風合いの黄粉引の丼鉢は日野の中田美穂さんの作品です。やわらかい轆轤さばきと独特の風合いで人気のある作家さんです。この鉢も口作りのやわらかさが魅力で、胴の轆轤目もいい感じに残っていて雰囲気があります。日本人が好む“情緒”をそなえた器です。

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“締め”は『ぶぶ漬け』。出汁かけのお茶漬けです。青白磁の急須は小西啓吾さんの『ペリカン急須』。少し前の通販業界で“旋風”を巻き起こした急須です。啓吾さんは通産省認定の『伝統工芸士』で、小物轆轤の“達人”。現在の信楽で小物轆轤の技術ではトップクラスの実力者です。しかしご本人は飄々としておられ、いたって自然体。この“自然体”こそ、信楽の陶工のええところなのでしょう。

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これはお世話になっている方への私からのお届けもの。折詰めにしてちょっと遊びで(うなぎめし)と認めました。うなぎの“う”の字が“うなぎ”になっているのがおわかりいただけますでしょうか。因みに一昔ふた昔前、東京の方ではうなぎのことを“マンボ”と言ったそうです。「ウ~ッ(う~)、マンボ!!」・・・(苦笑)

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かくれみの

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丸伴製陶 火鉢

松本伴宏 灰釉瓢徳利

庭をさわって何本か新しい木々を入れたのですが、二本鉢植えにしたものがあります。ひとつは『山紅葉』、もうひとつは『かくれみの』です。実は写真でもおわかりのように、パイプや柱を隠すために目隠しになるものをと思っていたのですが、場所が軒の下で夜露がかかりにくい場所でしたので、庭師の瓜生さんに相談しますと、「ハヤシダはん、そらぁ~山紅葉と“かくれみの”やでぇ!」と早速段取りをしてくださいました。私は直接地面に植えるものと思っていましたが、瓜生さんは「ハヤシダはん、鉢植えにしたほうがええで!なんか気に入ったええ鉢があったらすぐ植えられるし言うてな!」と言われたのですが、そんなに大きな鉢など持ち合わせていませんので早速探すことにしました。

143_4366 ・・・と申しましても、直径50㎝ぐらいの大鉢などそうあるものではありません。睡蓮鉢もなかなか気に入ったものがなく、どうしようか迷っていましたら、少し前に陶芸の森へ行ったときに目にしたものを思い出しました。『火鉢ロード・信楽の火鉢は、昭和の名品』と題して、約100個の火鉢を植木鉢に見立てて、陶芸の森の坂道を飾ってある光景でした。(そや!火鉢やったら大きいモンもあるよなぁ!)と、思ったのはいいのですが、今まで信楽の焼物で火鉢まではチェックしていませんでした。(どないしよう・・・?骨董屋さんにでも相談しよか・・・?)と思っておりますと、スタッフのまゆみちゃんが、「ヒロキさん、丸伴さんに沢山ありますよ!」と“天の声”。早速お伴してもらって、丸伴さんへ出掛けました。丸伴さんは昭和時代、火鉢の生産で知られた窯元で、現在は松本伴宏さんが作家として作品の制作に励まれています。伴宏さんの作品はよく見ていたのですが、火鉢には全くつながりませんでした。お邪魔して火鉢を見せていただくと、あまりの多さに目移りしてしまい、なかなか決められません。たかが火鉢、されど火鉢・・・。じっくり品定めしているなかで、昭和の陶工たちの息遣いや手仕事の気概が感じられ、今は出番の少なくなった火鉢からもしっかりと、当時の陶人たちの“誇り”を見ることができました.沢山ある中から私が選んだのはこの二点。ひとつは“イッチン”といわれる白泥を細く盛り上げて絵を書く加飾技法のもの。そしてもうひとつは呉須の濃淡で不思議な模様を描いたものでした。イッチンの方は華やかでしたので山紅葉を植えてもらいました。伴宏さんも「この“イッチン”は存在感があるなぁ!」とおっしゃっていただき、内心ガッツポーズでした。そして唐草模様のような不思議な模様の火鉢には『かくれみの』を植えてもらいました。

143_4367 これが『かくれみの』。私が子供のころ、『日本昔ばなし』で“てんぐの隠れ蓑”というお話があり、その“蓑”を被ると姿が消えて透明になり、いたずらや悪さをし放題できて、最後は焼かれてしまった“蓑”の灰を体に塗ってまでいたずらをしていたら、お堀に落ちて水で灰が流されて・・・とかいう話だったと思うのですが、私はその昔話の印象が強く、『かくれみの』といえば天狗さんなのです。

143_4364_2 火鉢をわけてもらった際に、伴宏さんの工房で見つけた徳利がありました。まさしく天狗さんが腰から下げていそうな瓢箪の徳利。『かくれみの』の話と相まって私の所有欲をそそりました。「次の展覧会に出すしな。」という伴宏さんの話に聞き耳を立てていた私は、早速ゲットいたしました。個展会場で、サッと現われてはサッと徳利を買っていった私は、まさに『かくれみの』を着た天狗さんの如く・・・だったのではないでしょうか?

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北山杉は狼煙の如くに・・・

143_4359 篠原希 刷毛目土鍋

しばらくの間お休みさせていただいておりました『阿閑亭日器』、再開させていただきます。更新がストップしておりました間に何人もの方から「楽しみにしてますので早く再開してくださいね!」と、ありがたいお言葉をいただきました。ご期待に添えるよう、また楽しくご笑覧いただけますように(ぼちぼちと)更新させていただきます。

143_4353 さて、お休みいただいている間に私どもの店『魚仙』は大きく様変わりいたしました。外観から見ますと、正面にありました石の階段がなくなり庭の木々や石の配置が変わって、スロープで庭の間をぬけて玄関へと続くアプローチになりました。今回庭を整地していただいたのは、私の友人で亡き親友・狸庵の藤原君の友人でもある宇治の瓜生造園さんにお願いしました。私自身、庭の改装は(木ぃ抜いてちょっと整地したらスロープ作れるやろ・・・)と簡単に考えていたのですが、瓜生さん「ハヤシダはん、そんなん全部木ぃも石ものけな(移動しな)あかんでぇ!」と言われ、ユンボは来るわクレーン車は来るわで、慌ててご近所さんにご挨拶に回った次第でした。おかげさまで以前とは全然違った、趣のある庭になり、お客様からも「いい感じになったね。」とお褒めのお言葉をいただいております。そんな中で今回庭に新たに入れた木が“北山杉”。何年も前から(庭を改装したらこんな感じにしたいなぁ・・・)とあちこちの寺や茶室の庭を見学に行っていた時から、どこに行っても植えてあっていいなぁと思っていたのが“北山杉”でした。“北山杉”と言いますと、私は川端康成の『古都』を思い出します。去年の夏には洛北の方まで出かけた際に、『古都』にも登場する“北山杉”の里を通って(やっぱり情緒があってええなぁ・・・)と、あらためて“北山杉”への思いを強くし今回の植栽に至りました。

143_4357 もうひとつ、私の“北山杉”への思いいれを表す料理があります。それは私の亡くなった父が考案し得意にしていた“北山鍋”です。私の父は滋賀の長浜の出身で、学校を出てすぐに京都で料理の道に入りました。もともと起用で熱心だったこともあり、トントン拍子で出世して所属していた調理師の組合では引っ張りだこの料理人だったと聞きます。そんな父が考案した“北山鍋”・・・。父のそれは大根と鶏肉という相性のいい素材を簡単に組み合わせ、美味しい“出汁”で提供させていただくという料理でした。

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大根を縦に割り、薄めにへいで大根で(うどん)の麺を作るように細く縦に切ります。細く縦に切り付けた大根・・・おそらく父は京都時代に目にしたあの趣のある“北山杉”にダブらせたのでしょう。まだ若かった父はまっすぐに伸びる“北山杉”に自分自身の思いも重ねたのかもしれません。父の代からのお客様でもこの“北山鍋”をご存じの方は少なくなり、『魚仙』では(幻の料理)状態でした。

143_4360 私の“北山鍋”は父のものを踏襲しながらも少しアレンジしたもの。大根はそのままに、組み合わせる材料を(鶏・豚・猪)などに幅をひろげて、仕上げに出汁に葛を引いてとろみをつけました。時には私の得意の(すっぽん)で“北山鍋”に仕立てるのも良いかもしれません。

143_4359_2 土鍋は篠原希さんの刷毛目のもの。薪窯での焼き締めの作品を得意にされる篠原さんですが、実は土鍋もお得意。奥様の作られる土鍋を使った手料理もブログで紹介されていてほんとに美味しそうなんです!私も一度ご馳走していただきたいのですが・・・。

143_4354 瓜生さんの言いつけ?で毎朝毎夕と庭への水やりが私の日課になりました。「ハヤシダはん、毎回しっかり30分は水まかなあきまへんでぇ!」と言われましたので、水道代を気にしながら・・・せっせと励んでおります。朝、水を撒きながら“北山杉”を見上げますと、てっぺんの(ボンボリ)が風に靡いておりました。(あぁ、これもだんだんウチの顔になっていくんやなぁ・・・。)と思うと同時に(これからもがんばって美味しいもん作らせていただこう!)という天の親父に届けとばかりの“狼煙”のようにも見えました。

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“北山杉”は狼煙の如くに・・・。ちょうどその時、シギでしょうか?横を流れる谷川から鳥のけたたましく鳴く声が聞こえました。私にはそれが本格的な『陶の辺料理』の始まりを告げる“鬨の声”に聞こえたのです・・・。

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